入れ歯と歯科の世界史<古代編>

入れ歯と歯科の世界史<古代編>

 皆さんがよく知る歴史上の有名人の中にも、歯の痛みや、歯を失って悩み、なんとかしようとした人がたくさんいたことが知られています。
 その昔、人間の寿命がまだ短かった時代には、歯を失うことは人生の終わりを意味していましたが、医学や公衆衛生が進歩することによって、歯痛をはじめとする様々な病気は克服されてきたという歴史があります。
 今回は、「歯」の側面から医学史を振り返って、興味深いエピソードをご紹介していきます。

原始時代の歯科治療

 古代遺跡から発掘された人類の人骨を見ると、太古の昔から人類が歯の痛みに苦しんできたことがわかるそうです。
 そのような時代には、現代のような柔らかい食物がありませんでした。
 歯痛といっても、現代人のような虫歯ではなく、硬い食物を噛み砕くことによって歯がすり減り、歯髄が露出してしまうことによる歯痛だったと推測されています。
 病気を治すと信じられていた呪い師たちには、歯そのものを抜く以外に、歯の痛みを抑えることはできませんでした。
 こうして人為的に抜歯された痕跡が、世界各地の人骨に残されています。

古代エジプトに最古の歯科医が登場した

 医学が誕生するのは、エジプトやメソポタミア、黄河周辺などに文明が目覚め、文字というものが生まれてからのことです。王や貴族は学者や職人といった者たちを庇護しましたが、その中には、かつての古代では呪い師だった医師も混じっていました。
 古代エジプト時代になると、その医師も細かく専門分野が別れ、歯科の専門医師も存在していたそうです。
 歯槽骨に穴を開け、歯根の周辺にたまった膿を出すような手術が行われていました。
記録に残されている最古の医師ヘシ・レもまた、紀元前27世紀の支配者ジョセル王の「歯科医および内科医主任」だったとされています。
 エジプトで発掘されたミイラには、歯に黄金が詰められています。
 古代メソポタミアのハムラビ法典には、皆さんもよくご存じの「目には目を、歯には歯を」という言葉が出てきます。
 この言葉は、「やられたらやり返せ」という意味で使われたりしていますが、原典の意味は、「目をつぶしてしまった罪には自らの目で償う。歯を折ってしまった罪には自らの歯で償う」というようなことです。
「同じ階級の者の歯を抜いてしまった者は、自分の歯を抜かれる」
「低い階級の者の歯を抜いてしまった者は、銀貨3分の1ミナの罰金を科される」
 という条文が残されていることからも、それはわかります。
 こうしたことは、古代の人々が歯を大切なものだと考えていたことを表していると言えるでしょう。
 しかし、歯の痛みをとる近代歯科医学が登場するのは、ずっと後のことで、当時、歯の痛みをとるには、やはり歯そのものを抜くしかありませんでした。
 健全な歯は美と力の象徴とされていましたから、歯を失うということは、威厳を失い、弱さを露呈することになり、1本でも歯を失った族長や指導者、大祭司たちは不適格であるという烙印を押されました。
 地位を守りつづけたい権力者たちが、失ってしまった歯の欠損をなんとかしようとして生まれたのが、入れ歯だったのです。

世界最古の入れ歯

 世界最古の入れ歯らしきものは、1914年にギザのピラミッド付近の墓から発掘されています。
 これは金の針金で大臼歯を結わえて固定したもので、5000年も前のものと鑑定されています。
 地中海でも、紀元前5世紀ころの女性の墓から、古代フェニキア時代のブリッジらしきものが発掘されています。
 こちらは、脱落した下あごの前歯をやはり金の針金で固定したものです。
 そのような細かな技術をもっていたのは、古代エトルリアの職人でした。
 失われた歯に会うように純金の板金をぴったりとハンダ付けして、ヒトやウシの歯を削って作った人工の歯をピンで固定するというものです。
 ブリッジのように健康な歯に固定したもののほかにも、取り外し可能な入れ歯状のものもあります。
 こうした入れ歯はイタリア各地から発掘されており、裕福な人々の間で普及していたことがわかっています。

ヒポクラテスによるギリシア医学

 古代ギリシアの時代に医学の基礎を築いた「医聖」とした名高いヒポクラテスは、神官の医術を集大成し、医学校を開いて弟子たちを教育しました。
 その教えは医学の全領域にわたり、医学の聖典とみなされていきます。
 抜歯や歯肉切開、入れ歯による補綴など、ヒポクラテスの教は、歯科に関するものも数多く見受けられます。
 上で述べたエトルリアの職人たちの技術が、ヒポクラテスによって医療技術として認知され、応用されて、ローマ帝国の興隆にともなって、アレキサンドリアを中心にローマ文明に引き継がれていきました。
 この時代は、エトルリア人やギリシア人の職人たちが、金を加工した金冠やブリッジを作り、それを歯科専門の医師が患者の歯にとりつけるといった治療が行われていました。

 また、このころには食生活も古代とは変化をとげており、虫歯や歯周病といった現代的な病も現れています。
 ルネサンスまでの1500年以上にわたり、ヨーロッパ、イスラムの医学を支配したガレノスという医学者がいますが、彼の医学書にも、歯の解剖や病理、治療についての記述が見られます。
「虫歯は文明化された都市市民の病気であり、起床時にはよく口をすすぐのがよい」
 そんな虫歯予防の記述などもあるそうです。

 しかし、金冠や入れ歯を作っていたのは、相変わらず医師ではなく、職人たちでした。
 このころには工芸技術が進化しており、より精密が細工ができるようになりました。
 ブリッジだけではなく、取り外し式の入れ歯も作られていた記録が残されています。
 削った硬い木を歯根の中に差し込み、先端に人口の歯を取りつけた、現代でいう「差し歯」の技法も生まれています。

古代ローマの歯の女神、聖アポロニア

 ローマ帝国時代のアレクサンドリアで殉教した、聖アポロニアという女性がいます。
 言い伝えによると、この女性はすべての歯を引き抜かれる拷問を受けたとされています。
 当時、アレクサンドリアの群衆はキリスト教徒に対して血なまぐさい暴行と略奪を繰り返しました。ローマの神々を侮辱したというデマを流されたアポロニアは、暴徒たちの拷問に遭い、棄教か死かの選択を迫られ、自ら火の中へ飛び込んで焼死したのです。
 アポロニアは炎に焼かれながら、
「歯痛に悩む人は、私の名を唱えればその苦痛から逃れられるだろう」
 と叫んだと伝えられています。
 この悲惨な逸話は西方教会によって教訓とされ、後年、広く一般に流布しました。
 今でも、ローマ・カトリック教会は2月9日をアポロニアの祝日と定めており、歯痛に苦しむ人々はこの聖女にお祈りを捧げます。アポロニアは、歯科学や歯痛を患う者、歯に関する守護聖人として崇敬されているのです。
 彼女を描いた肖像画では、聖アポロニアは歯を引き抜くペンチを手にしているか、歯を持つ姿で表されます。アメリカではアポロニア像は、しばしば歯科医院のポスターのモチーフになっています。
 彼女の逸話は、一般にも歯痛に苦しむ人々が多数いたことを表しています。
 歯科の医学や入れ歯の技術は発展していたのですが、それらの恩恵にあずかることができたのは、一部の裕福な人々だったのでした。

入れ歯と歯科の世界史<古代編> まとめ

 今回は文明の発生からエジプト、ギリシア、ローマと古代における歯科の発展について振り返ってみました。
 入れ歯や差し歯までもがすでに治療として存在していたことをご存じだったでしょうか。
 中世以降の入れ歯の歴史については、あらためて別の記事でご紹介してまいります。
 お楽しみにお待ちください。

 

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